栞:戦争の社会学 はじめての軍事・戦争入門(橋爪大三郎)

p20(適宜略)

日本は、戦争だと認めたくなかった。中華民国は、戦争だと認めたくなかった。双方の思惑が合致した結果、戦争ではなくて「事変」。後世の歴史家が、日中戦争とか十五年戦争とか、勝手に呼び変えてもらっては困るのである。

中華民国側もそうだったのか。

 

p22

内乱の場合は、負けた側を捕虜とすることができない。生かしておいても仕方がない。そこで、みな殺しにしてしまうということも起こった。

なるほど。戊辰戦争は戦争ではない、か。

 

p52(適宜略)

イスラエルの民は、女も子どもも住民をひとり残らず殺害し、エリコを焼き払って、破壊し尽くした。神に対する献げもの(ホロコースト)という意味である。奴隷としたり妻としたりしたのでは、百パーセント神のために戦ったのではなかったことになる。

ユダヤ教、もとい、宗教戦争怖い

 

p62

メギドの丘(ハルマゲドン)

!!!

地名か。関が原か。

 

p70(適宜略)

キリスト教会は)西ヨーロッパ中世に無数に存在する領主権力を、どれもすべて正当であると保証することができる。

破門された領主は、統治を継続できなくなる。

キリスト教徒を奴隷とすることを認めない。

奴隷の件は見落としてた。

 

p77(適宜略)

中国だけでなく、インドやイスラム世界にも、中世にあたるものはない。

日本には中世がある。

律令制は長く持たなかった。

 

p108(適宜略)

戦争と平和の法』は、自然法の思想に立脚している。古いと敬遠する向きがある。けれども、今日でも有効な考え方だ。

主権国家のほかにも、私人や山賊など、さまざまな主体を幅広く論じている。

非対称戦争について考える際の拠り所。

 

p162(適宜略)

動員をかけることによって、陸軍の兵力は、通常よりも増加させることができる。

海軍はこれができない。

特攻隊も本来はあり得なかった。

 

p166

 わが国の海上自衛隊に、護衛艦という艦種がある。駆逐艦のことである。

 ただし、最近は、イージス艦やヘリコプター空母のような、どうみても巡洋艦航空母艦としか思えないものまで、護衛艦に分類されている。

言い換えだよなぁ

 

p178(適宜略)

《戦争の場合の「防御」(defence)という言葉には、二つの考え方が含まれている。受動的防御と敵を攻撃するディフェンス。海軍は攻撃的防御の特権を有する。》

マハンに従えば、真珠湾攻撃は攻撃的防御の一例にほかならない。

マハンの防御の範囲もいまいち分からないし、宣戦布告との関係も分からない。

 

p194

日本海海戦の)勝因は、日本海軍が原則に忠実だったことによる。決して、日本海軍が優れていたからではない。

ここのマハンはなんとなく後知恵くさい。地震予知できていた、みたいな言説に似た印象。

 

 p216(適宜添削)

(フランス風の)鎮台は、いわばゾーンディフェンスで、要塞に結びついている。それに対して(ドイツ風の)師団は、野戦型で、どこにでも移動して戦う。

今でも「駐屯地」。

 

p230

ユダヤ人フリッツ・ハーバー博士は窒素肥料でノーベル化学賞。彼が発明した殺虫剤ツィクロンBが、彼の死後収容所でユダヤ人殺害に使われた。

 

p236

ドイツが使用した無敵の暗号「エニグマ」を解読するイギリスの、アラン・チューリングの活躍を描いた映画『イミテーション・ゲーム』(二〇一四)は、一見の価値がある。

チューリング法ってあったなぁ

 

p254

 日本軍は、重慶に、無差別爆撃を加えた。またのちに、オーストラリアの都市(アデレードなど)にも、無差別爆撃を加えた。規模は小さいとしても、日本が先に、無差別爆撃を加えたことに間違いない。連合軍が、その報復に、日本の大都市に無差別爆撃を加えたという理屈である。

 どういう戦略的価値があるかも疑わしい爆撃を、戦術的に可能だからと実施してしまった日本軍の認識の甘さを、実に残念に思う。無差別爆撃が戦時国際法に違反することを真剣に認識せず、報復によって日本の大都市が灰燼に帰する可能性にも思い及ばなかったのだとしたら、軍人として失格である。

 日本が無差別爆撃をしなかったとしても、日本の都市は連合軍にやはり爆撃されたであろう。だがそれは、また別の話だ。

うーむ。

 

p265

1975 ソ連が東欧に新型ミサイル配備→西欧がアメリカの核の傘(報復)に疑念を抱く→反核運動→核軍縮へ。

北朝鮮が核攻撃能力を持つと反核感情と核武装論が同時に起きるかもしれない。

 

p275(適宜添削)

第二次世界大戦後の世界平和の)基礎は、広島、長崎で惨禍をなめた、数十万の人びとの犠牲である。これらの人びとの悲惨な状況を、世界が知ることができたから、核戦争は食い止められた。

 このように考えるなら、「過ちは繰り返しませんから」という言い方は、とてもよくない。生き残った者に、このような傲慢な言葉をのべる権利はない。「皆さんの犠牲があって、わたしたちは生きていられます。感謝します、忘れません」でなければならない。

うーむ、うーむ。

 

p280(適宜添削)

 一九四一年、内閣のもとに総力戦研究所が設けられて、対米開戦のシミュレーションをした。どう転んでも日本は敗れる、というものだった。猪瀬直樹氏の『昭和16年夏の敗戦』

読もう。

1940年8月の閣議で設置決定……誰の内閣?

 

p285(適宜添削)

なぜ、近代的な軍隊の兵士には考えられない自殺行為や玉砕が、日本軍には起こるのか。

 ひとつの理由は、日本の軍隊が、天皇の軍隊であることだ。

 ソ連赤軍は、共産党の指揮に従う。中国の人民解放軍は、中国共産党(の軍事委員会主席)の指揮に従う。こうした体制は、立憲制と相容れない。

 捕虜になるならむしろ自決しなさい、は日清戦争の時代から日本軍の伝統だった。

 日本軍は戦時国際法の教育義務を怠ったばかりか、積極的にそれとは違ったルールを教育したのである。

 司馬遷の言葉を軍人勅諭は改竄した(死は鴻毛より軽し)。

ふむふむ。

 

p300(適宜添削)

旧陸軍の『統帥綱領』では、戦闘でも、追撃でも、山地でも、上陸作戦でも、どしどし毒ガスを使え、と推奨している。とんでもない書物と言うべきだろう。

うわぁ……

 

p302

 もしも日本が、アメリカより先に原爆を手にしていたなら、ためらいなく使用したことだろう。『統帥綱領』をみるなら、そうとしか考えられない。

うむ。

 

p312

 テロに適用される法律は、戦時国際法である。これによれば、テロリストは戦闘員資格がない。ゆえに、違法である。

非武装中立」という議論があったころ、実際に占領されたら、あなたはどうするのかという議論があった。ある人は答えた。忍び寄ってナイフで刺します。市民が軍人をナイフで刺したりしたら、国際法違反になって、その場で処刑されてしまっても文句は言えないことを知らないのだ。

 ハーグ陸戦法規は、戦時国際法を、軍人だけでなく一般市民にも、しっかり教育しておくことが、前提となっている。戦前も、戦後も、わが国の学校教育はこれを怠ってきた。戦時国際法に違反している。

 もっとも日本人は、もともと戦時国際法を守らない(守れない)のではない。教育されると、きちんと守れる。

 (山縣有朋か自決を指導した)日清戦争では、相手が清国だった。日露戦争は、ヨーロッパ列強の一角であるロシアを相手にした戦いである。日本は、不平等条約の改正を念願にしていた。欧米諸国に、日本には十二分に、戦時国際法を遵守する能力があると印象づけたかった。

 そのため、指揮官や兵卒にいたるまで、国際法の教育が行き届いていた。日本軍の戦いぶりは、西側諸国の称賛を受けている。

東郷司令長官は、佐世保の病院にロジェストヴェンスキー司令長官を見舞って、懇切な言葉をかけている

講義テキストであるがゆえの気の緩み?この時代、西側諸国という括りはないはず。

 

それはそうと、昭和十年代に戻りたい右派には同調できないが、日露戦争の頃に戻りたい右派の気分はわかる。司馬遼太郎恐るべし。

 

p334(適宜添削)

 自動小銃やロケット砲が、自動的にテロを起こすことはないが、戦闘ロボットは、自動的にテロを引き起こせる。

 戦闘ロボットは、そんなに高価でない。きわめて小型のものも、開発されるはずだ。頭の痛い、新たな危険の始まりである。

 新約聖書ヨハネ黙示録に、戦闘ロボットを思わせるいなごが登場する。

 このいなごは、《額に神の刻印を押されていない人には害を加えてよい、と言い渡された》(9章4節)のだから、神の意思によって行動する天使の軍勢であろう。しかし、黙示録のほかの箇所もそうだが、天使の軍勢は、悪魔の軍勢ではないかと思うほど、凶悪で暴力的である。

 戦闘ロボットがうみだす戦争の時代は、ヨハネ黙示録の描く終末の世界と、似通っている。

 

p339

 人類はこれまで、戦争とともに歩んできた。戦争を克服し、平和に生きる希望を持つためにも、戦争の知識は必要だ。戦争を、社会の中のノーマルな出来事として、みつめよう。それを、普遍的な(=誰の耳にも届く)言葉で語ろう。そう、「戦争の社会学」を身につけよう。

趣旨は全く同意。ただ、戦争自体の是非は問うていないが、国際法に照らして戦争中の行為の是非を問うのは、社会学の範疇なのか、よくわかっていない。