80年前の国鉄(省線)

品鶴線の旅客利用や、京浜東北線の快速運転、東北縦貫線など、現在の首都圏JRの原型がすでに80年前にあったのか。

東京朝日新聞 1934年(昭和9年)7月18日
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一、品川、尾久の操車場を拡大し東海道線の旅客列車は尾久で、また東北方面の旅客列車は品川で編成する
一、急行列車は従来通り東海道線のものは東京駅から、東北方面のものは上野駅から発車するがローカル列車で東京発日光行、上野発熱海行という新しい列車が出来る
一、東京駅に長さ千三百尺のホームを三本増設する、つまり現在のホームは四本だからほぼ二倍に拡大する訳で現在の東京操車場は廃止する、新設の三ホーム中一本は横須賀線専用、他の一本は京浜又は山手線専用、残る一本は臨時不定期列車の発着場とする
一、東京−田町間に高架線二本を増設する
一、京浜線に急行電車を新設し川崎−東京間は途中大井または蒲田を除き東京までノンストップで運転する
一、東海道線の急行でラッシュアワーに東京駅に発車するものは鶴見より貨物専用の品鶴線を通し品川−鶴見間に電車の途をあける、品鶴線を電化し荏原神明町を中心とする住宅地に省電を運転する
一、横須賀線電車はラッシュアワー十分平時十五分間間隔に運転する