栞:戦争の社会学 はじめての軍事・戦争入門(橋爪大三郎)
p20(適宜略)
日本は、戦争だと認めたくなかった。中華民国は、戦争だと認めたくなかった。双方の思惑が合致した結果、戦争ではなくて「事変」。後世の歴史家が、日中戦争とか十五年戦争とか、勝手に呼び変えてもらっては困るのである。
中華民国側もそうだったのか。
p22
内乱の場合は、負けた側を捕虜とすることができない。生かしておいても仕方がない。そこで、みな殺しにしてしまうということも起こった。
なるほど。戊辰戦争は戦争ではない、か。
p52(適宜略)
イスラエルの民は、女も子どもも住民をひとり残らず殺害し、エリコを焼き払って、破壊し尽くした。神に対する献げもの(ホロコースト)という意味である。奴隷としたり妻としたりしたのでは、百パーセント神のために戦ったのではなかったことになる。
p62
メギドの丘(ハルマゲドン)
!!!
地名か。関が原か。
p70(適宜略)
(キリスト教会は)西ヨーロッパ中世に無数に存在する領主権力を、どれもすべて正当であると保証することができる。
破門された領主は、統治を継続できなくなる。
キリスト教徒を奴隷とすることを認めない。
奴隷の件は見落としてた。
p77(適宜略)
中国だけでなく、インドやイスラム世界にも、中世にあたるものはない。
日本には中世がある。
律令制は長く持たなかった。
p108(適宜略)
『戦争と平和の法』は、自然法の思想に立脚している。古いと敬遠する向きがある。けれども、今日でも有効な考え方だ。
主権国家のほかにも、私人や山賊など、さまざまな主体を幅広く論じている。
非対称戦争について考える際の拠り所。
p162(適宜略)
動員をかけることによって、陸軍の兵力は、通常よりも増加させることができる。
海軍はこれができない。
特攻隊も本来はあり得なかった。
p166
わが国の海上自衛隊に、護衛艦という艦種がある。駆逐艦のことである。
ただし、最近は、イージス艦やヘリコプター空母のような、どうみても巡洋艦や航空母艦としか思えないものまで、護衛艦に分類されている。
言い換えだよなぁ
p178(適宜略)
《戦争の場合の「防御」(defence)という言葉には、二つの考え方が含まれている。受動的防御と敵を攻撃するディフェンス。海軍は攻撃的防御の特権を有する。》
マハンに従えば、真珠湾攻撃は攻撃的防御の一例にほかならない。
マハンの防御の範囲もいまいち分からないし、宣戦布告との関係も分からない。
p194
ここのマハンはなんとなく後知恵くさい。地震は予知できていた、みたいな言説に似た印象。
p216(適宜添削)
(フランス風の)鎮台は、いわばゾーンディフェンスで、要塞に結びついている。それに対して(ドイツ風の)師団は、野戦型で、どこにでも移動して戦う。
今でも「駐屯地」。
p230
ユダヤ人フリッツ・ハーバー博士は窒素肥料でノーベル化学賞。彼が発明した殺虫剤ツィクロンBが、彼の死後収容所でユダヤ人殺害に使われた。
p236
ドイツが使用した無敵の暗号「エニグマ」を解読するイギリスの、アラン・チューリングの活躍を描いた映画『イミテーション・ゲーム』(二〇一四)は、一見の価値がある。
チューリング法ってあったなぁ
p254
日本軍は、重慶に、無差別爆撃を加えた。またのちに、オーストラリアの都市(アデレードなど)にも、無差別爆撃を加えた。規模は小さいとしても、日本が先に、無差別爆撃を加えたことに間違いない。連合軍が、その報復に、日本の大都市に無差別爆撃を加えたという理屈である。
どういう戦略的価値があるかも疑わしい爆撃を、戦術的に可能だからと実施してしまった日本軍の認識の甘さを、実に残念に思う。無差別爆撃が戦時国際法に違反することを真剣に認識せず、報復によって日本の大都市が灰燼に帰する可能性にも思い及ばなかったのだとしたら、軍人として失格である。
日本が無差別爆撃をしなかったとしても、日本の都市は連合軍にやはり爆撃されたであろう。だがそれは、また別の話だ。
うーむ。
p265
1975 ソ連が東欧に新型ミサイル配備→西欧がアメリカの核の傘(報復)に疑念を抱く→反核運動→核軍縮へ。
北朝鮮が核攻撃能力を持つと反核感情と核武装論が同時に起きるかもしれない。
p275(適宜添削)
(第二次世界大戦後の世界平和の)基礎は、広島、長崎で惨禍をなめた、数十万の人びとの犠牲である。これらの人びとの悲惨な状況を、世界が知ることができたから、核戦争は食い止められた。
このように考えるなら、「過ちは繰り返しませんから」という言い方は、とてもよくない。生き残った者に、このような傲慢な言葉をのべる権利はない。「皆さんの犠牲があって、わたしたちは生きていられます。感謝します、忘れません」でなければならない。
うーむ、うーむ。
p280(適宜添削)
一九四一年、内閣のもとに総力戦研究所が設けられて、対米開戦のシミュレーションをした。どう転んでも日本は敗れる、というものだった。猪瀬直樹氏の『昭和16年夏の敗戦』
読もう。
1940年8月の閣議で設置決定……誰の内閣?
p285(適宜添削)
なぜ、近代的な軍隊の兵士には考えられない自殺行為や玉砕が、日本軍には起こるのか。
ひとつの理由は、日本の軍隊が、天皇の軍隊であることだ。
ソ連の赤軍は、共産党の指揮に従う。中国の人民解放軍は、中国共産党(の軍事委員会主席)の指揮に従う。こうした体制は、立憲制と相容れない。
捕虜になるならむしろ自決しなさい、は日清戦争の時代から日本軍の伝統だった。
日本軍は戦時国際法の教育義務を怠ったばかりか、積極的にそれとは違ったルールを教育したのである。
司馬遷の言葉を軍人勅諭は改竄した(死は鴻毛より軽し)。
ふむふむ。
p300(適宜添削)
旧陸軍の『統帥綱領』では、戦闘でも、追撃でも、山地でも、上陸作戦でも、どしどし毒ガスを使え、と推奨している。とんでもない書物と言うべきだろう。
うわぁ……
p302
もしも日本が、アメリカより先に原爆を手にしていたなら、ためらいなく使用したことだろう。『統帥綱領』をみるなら、そうとしか考えられない。
うむ。
p312
テロに適用される法律は、戦時国際法である。これによれば、テロリストは戦闘員資格がない。ゆえに、違法である。
「非武装中立」という議論があったころ、実際に占領されたら、あなたはどうするのかという議論があった。ある人は答えた。忍び寄ってナイフで刺します。市民が軍人をナイフで刺したりしたら、国際法違反になって、その場で処刑されてしまっても文句は言えないことを知らないのだ。
ハーグ陸戦法規は、戦時国際法を、軍人だけでなく一般市民にも、しっかり教育しておくことが、前提となっている。戦前も、戦後も、わが国の学校教育はこれを怠ってきた。戦時国際法に違反している。
もっとも日本人は、もともと戦時国際法を守らない(守れない)のではない。教育されると、きちんと守れる。
(山縣有朋か自決を指導した)日清戦争では、相手が清国だった。日露戦争は、ヨーロッパ列強の一角であるロシアを相手にした戦いである。日本は、不平等条約の改正を念願にしていた。欧米諸国に、日本には十二分に、戦時国際法を遵守する能力があると印象づけたかった。
そのため、指揮官や兵卒にいたるまで、国際法の教育が行き届いていた。日本軍の戦いぶりは、西側諸国の称賛を受けている。
東郷司令長官は、佐世保の病院にロジェストヴェンスキー司令長官を見舞って、懇切な言葉をかけている
講義テキストであるがゆえの気の緩み?この時代、西側諸国という括りはないはず。
それはそうと、昭和十年代に戻りたい右派には同調できないが、日露戦争の頃に戻りたい右派の気分はわかる。司馬遼太郎恐るべし。
p334(適宜添削)
自動小銃やロケット砲が、自動的にテロを起こすことはないが、戦闘ロボットは、自動的にテロを引き起こせる。
戦闘ロボットは、そんなに高価でない。きわめて小型のものも、開発されるはずだ。頭の痛い、新たな危険の始まりである。
新約聖書のヨハネ黙示録に、戦闘ロボットを思わせるいなごが登場する。
このいなごは、《額に神の刻印を押されていない人には害を加えてよい、と言い渡された》(9章4節)のだから、神の意思によって行動する天使の軍勢であろう。しかし、黙示録のほかの箇所もそうだが、天使の軍勢は、悪魔の軍勢ではないかと思うほど、凶悪で暴力的である。
戦闘ロボットがうみだす戦争の時代は、ヨハネ黙示録の描く終末の世界と、似通っている。
p339
人類はこれまで、戦争とともに歩んできた。戦争を克服し、平和に生きる希望を持つためにも、戦争の知識は必要だ。戦争を、社会の中のノーマルな出来事として、みつめよう。それを、普遍的な(=誰の耳にも届く)言葉で語ろう。そう、「戦争の社会学」を身につけよう。
趣旨は全く同意。ただ、戦争自体の是非は問うていないが、国際法に照らして戦争中の行為の是非を問うのは、社会学の範疇なのか、よくわかっていない。
栞:「日本スゴイ」のディストピア(早川タダノリ)
この時期にも「参議院」という言葉があったんだ。
p80(「決戰體力の目標」)
検定の基準はというと、例えば男子ではーー
百米走 十四秒以内(上級)(中略)
手榴弾投げ 四十五米以上(上級)
手榴弾投げって……。
p80(「決戰體力の目標」)
彼(柳澤利喜雄)は一九三八年(昭和十三年)から日本人の出生率が急激に低下していることについて危機感をあらわにしてこう述べている。
p136
一九四一年(昭和十六年)十二月に国民勤労報国協力令が施行され、十四歳以上二十五歳未満の「未婚」女性に、年間三十日以内の勤労奉仕が義務付けられる。
昔も今も女は大変。産めよ、働けよ、と。
p85
「子供のうちから翼賛選挙実習」
奈良市立済美国民学校では時局に応じて一歩を進め、翼賛級長選挙を行って大きな効果を上げています。この選挙では先生が推薦候補者五名を出して学童にそれぞれ級長、副級長に当選させるという仕組みで朗らかな学園新体制を確立しています。
残り三名かわいそう
p93(「女性非常時読本」)
我が国では一般に、桃の節句、端午の節句等には各家庭で餅をついたり、馳走をしたりしてお祝ひする風習になつて居ります。然るに国家の祝祭日たる四大節や八祭日には正月の四方拝を除くの外、家庭では何らの行事をもなさないのが普通の状態であります。これは国民として本末転倒して居るのではありますまいか。
日本の伝統ってなんだろう?
p122-123(「写真週報」第51号)
混雑を
二倍に揉み合ふ
我れ勝ち組
車内に持ちこんでよい荷物の大きさは網棚にのせられるか又は腰掛の下に入れられる程度のものに限られてゐます。こんな大きいトランクなどは勿論チエッキで托送すべきです
チエッキ(チッキ)って、専用の荷物車を連結したのかなぁ?
p141(「働く女性の力」)
心の隙をつくるな
(前略)一時よく電車の中などで、若い女性にいたづら(原文は傍点、以下同様)をする男がありました。(中略)さういふ下劣きはまるいたづらをする男子には、大いに反省を促さねばならないと思ひますが、また、一面、さういふいたづらをされる女性にも、それだけの手落がなかつたとはいへないでせうか。(略)如何に身動きのならぬ満員電車の中であらうとも、そのやうないたづらをされるのは、やはり女性の方にもそれだけの隙があつて、その隙につけこまれたのだと思ひます。
昔も今も変わらない……。
きっぷホルダーと地図が一体で便利な、都営交通105周年記念一日乗車券 「Toei 1 Day Pass」
0.都営交通では通年で「都営まるごときっぷ」(700円)を発売している。
1.その記念デザインバージョン「Toei 1 Day Pass」が6つの駅の券売機で発売中である(浅草駅、巣鴨駅、馬喰横山駅、都庁前駅、新宿西口駅、大門駅)。
※各駅ごとに1,750枚ずつの限定発売。
2.そして、その記念デザインの「Toei 1 Day Pass」(700円)を持って駅長事務室に行くと「都営バス地下鉄マップ」がもらえる。さらにスピードくじをひくことができる。
さらっと書いたけど結構入手まで面倒だった(笑)。
A.ポスターをみて「都営バス地下鉄マップ」を希望者に配布しているものと勘違いした。
B.キャンペーンを理解したあと、新宿西口駅の有人改札内側から「実はもうここまで都営まるごときっぷでやってきたのだが」と申し出たら、
「一旦改札を出て券売機で通常どおり都営まるごときっぷを買ってきてほしい、そうすれば700円を払い戻す」と案内された(便宜措置か正規の取り扱いかどうかは不明)。
C.改札を出て「Toei 1 Day Pass」を購入し、再び改札に入って通常の「都営まるごときっぷ」分の返金を受け、駅長事務室に向かった。場所はD2出口のそば。
D.ようやくお目当ての「都営バス地下鉄マップ」をゲット。このコンパクトなサイズときっぷホルダーがうれしい。
E.広げると、都営地下鉄、都電、日暮里・舎人ライナーの全線全駅と、主要都営バス路線が1枚に掲載されている。地図をあきらめて、携帯性をとった判断。
F.裏返すと英語版。
G.折り方に特徴があり、きれいにたためる。「ミウラ折り」というそうだ。
H.スピードくじに挑戦するも外れ。
I.残念賞?以前のノベルティをいただいた。
クリアファイル1枚目(表)
クリアファイル1枚目(裏)
クリアファイル2枚目(※きっぷを2枚購入し、2枚とも外れました(笑))
袋までいただいちゃいました。ありがとうございます。
駅ごとに在庫が決まっているようなので、入手希望の方はお気をつけて。
「都営交通105周年記念一日乗車券」の発売について | 東京都交通局
成田エクスプレス40号の進路違い
(2016年8月10日に追記)
2016年7月29日18時半頃に、成田エクスプレス40号大宮行きが誤って大船方面に向かう事象が発生した。
この日、成田エクスプレス35号成田空港行きが途中で飛び込みによる人身事故に遭遇している。成田方面の先頭車が大きく凹んだ。
その折り返しの40号、運休になってもおかしくないのに、JR東日本とは思えないほど柔軟な対応をとろうとした。
対応はほぼ成功しかけたのだが、最後に思わぬ失敗をしてしまった印象である。
成田空港から都心に向かう成田エクスプレス号は、前半分の車両が横浜・大船方面、後半分の車両が新宿・大宮方面に向かうことが多い。東京駅で分割するのである。
事故車は都心に向かって一番後ろなので、そのままでは大宮に行ってしまうが、この車両は大船所属なので、この日だけ前後の車両の行き先を入れ替えようとした。
しかし、何らかのミスで設定変更がうまく伝わっておらず、いつものように前半分の車両は品川の横須賀線ホームを通った後、分岐点をとおって横浜・大船方面に進入していまった。
この場合、運転士も非を問われると思う。
列車の運転士は進行方向を制御することはできないが、間違った方向に進みそうなときはブレーキをかける義務がある。なかなか大変な仕事だと思う。
最初は漫然と運転していたのかと思ったが、運転士も順序変更は当然知っていたはずだ。
いつもと違うことをしているときは、人間は慎重になるだろう。
分岐点には「赤・黄・緑」の信号機が2組あり、進行方向は「黄」か「緑」、もう一方の方向は「赤」となっている。
ただし、場所によってはその信号機が見づらいので、手前に「進路予告機」というものがあるのだが、これは「赤・黄・緑」ではない。
誤進入が発生したのは18時半過ぎで、この日の日没は18:48。列車は南西に向かう。
推測だが、西日で進路予告機が見えづらく、右カーブ後の分岐器直前の場内信号機を見てブレーキをかけたが間に合わなかったのではなかろうか。
本来の新宿・大宮方面に進む場合
9:28頃から10:19頃までが該当の区間である。
運転士は
(1)進路予告機が右側のみ点灯していることを確認する。この灯火が見えづらかったのではないかというのが私の推測である。
(2)場内信号機が左の「品鶴第一場」が赤、右の「山貨一場」が赤以外(ここでは黄+緑の「減速」)であることを確認する。
(3)分岐器が右方向に開通していることを確認する。
今回のように横浜・大船方面に進む場合
11:17頃から11:55頃までが該当の区間である。
運転士は
(1)進路予告機が両方点灯していることを確認する。
(2)場内信号機が左の「品鶴第一場」が赤以外(ここでは緑の「進行」)、右の「山貨一場」が赤であることを確認する。
(3)分岐器が直進方向に開通していることを確認する。
【追記(2016年8月10日)】
当該列車の車内放送がYouTubeにアップされていた。車掌の肉声放送の部分は日本語だった。
(自動放送に続いて、5分39秒から車掌の肉声で)ご乗車ありがとうございます。成田エクスプレス40号 大宮・大船行きです。
本日、車両の都合によりまして、一番先頭が7号車。7号車、8号車、9号車、10号車、11号車、12号車。12号車の後ろに1号車から6号車を連結しております。
本日、車両の都合によりまして先頭が7号車。7号車から12号車まで。12号車の後ろに1号車を連結しまして1号車から6号車までとなっております。
行き先につきましては、ご利用いただいております号車そのまま、7号車から12号車が渋谷、新宿方面大宮行き、後(あと)より1号車から6号車までが横浜方面大船行きとなっております。
車両の号車番号変わりまして、ご利用のお客様には大変ご迷惑をおかけしております。各車両、ドア付近にございます号車番号案内、よくお確かめの上、ご利用いただきますようお願いいたします。
本日、車両の都合によりまして、号車番号が変更となっております。号車番号の順番が変更となっております。ご利用のお客様には大変ご迷惑をおかけしております。
次は東京、東京です。
また、武蔵小杉駅で打ち切りになったときの模様も。
「大宮行き」の表示の成田エクスプレス40号が武蔵小杉で運転打ち切り。
表示が「回送」になった。
車内で戸惑っているような外国人旅行客の姿と、車掌に抗議する日本人客の声が聞こえる。
0:50頃から
乗客?「誘導してあげないとさぁ」
車掌?「はい、はい」
乗客?「こんな外人の方全然分かんないよ」
1:12頃
3番ホームの案内が「全席指定 回送」に
1:30頃
自動放送「むさしこすぎ~、むさしこすぎ~」
上り湘南新宿ライン到着か。
1:38頃から2:06頃まで
スーツケースをもった外国人旅行客?が上り湘南新宿ライン普通車に乗り込む。
「業務放送、業務放送…(そのあと聞き取れず)」
「ハイ了解しました。特急成田エクスプレスからご乗車になるお客様います。この列車少々停車いたします」
「This train, this train」
2:56頃
「○○ないですか~」
3:23頃
「お待たせいたしました。4番線から湘南新宿ライン、高崎線直通、快速、籠原行き発車いたします」
4:10頃
湘南新宿ライン発車。車内にはロングシート車に立っている外国人旅行客の姿が見える。列車が混雑していなかったのが不幸中の幸いか。
5:14頃
「クロE259-1」の文字が見えた。
山田太郎氏に投票した6万都民に、政見放送の音声カットについて訊いてみたい
都知事選が終わったんで違和感を書いてみる。
「<表現の自由>を重視するタイプのオタクが、都知事選のNHK政見放送の音声カットはあまり話題にしなかったように見える。なぜなのか」。
問いも答えも間違っているかもしれない。
なお、後藤輝樹氏を支持する主張では【ない】。
(1)
世間を騒がせる事件が起こったとき、しばしばマスコミはアニメやゲームに原因があるかのような報道をする。また、性的なイラストに対して拒否感を持つ人も少なからずいる。
これに対してオタクはどう思っているのか想像してみた。
(2)
アニメやマンガ、同人誌での性的表現は、実際に被害者がいる児童ポルノと混同されたり、性犯罪を誘発するのではないかと思われたりしている。この動きに歯止めをかけようとしている山田太郎氏が、参院選で支持・不支持両面で注目された。
(3)
結果、山田太郎氏は落選したものの29万票の得票を集め、話題となった。うち、東京都では6万票を得ている。山田氏は、平素から<表現の自由>に敏感な層と、参院選をきっかけに興味をもった層の両方の支持を集めたといえる。
(4)
その後、東京では都知事選が始まった。21人が立候補したが、マスコミは3氏の争いとして報道した。そして、泡沫候補とみなされていた後藤輝樹氏が、NHKの政見放送で性器の俗称等を連呼し、政見放送の一部が無音で放送された。
(5)
後藤輝樹氏の手法や主張について問題にしたいのではない。
「そのまま放送するのが原則」の政見放送に修正が入ったことについて、山田太郎氏に投票した都民が何かを感じたのか、何も感じなかったのか、とても気になった。
山田太郎氏と後藤輝樹氏は経歴も実績もまったく違うが、投票直前になって関心が急に高まった、という点では似たところがあると思う。
「いえ 団地 まち 公団住宅 設計計画史」
「団地」に興味を持つようになったのはいつごろからだろうか。
結構「団地ファン」が進行し、とうとう、お弁当箱サイズ、500ページ以上のこんな本に手を出すことになってしまった(ほめ言葉)。
レベル1 一般常識
社会科の教科書で、都市の過密問題、光化学スモッグ、ドーナツ化現象などと並んで確か「高島平団地」の名前を聞いた記憶がある。
そして、「ひばりが丘団地」への皇太子殿下、妃殿下のご訪問も戦後高度成長期の一コマとしてよく出てくる。
このあたりは知識として以前から知っていた。
レベル2 建築
00年代中盤から「団地趣味」が広がってきたそうだ。
テラスハウス「阿佐ヶ谷住宅」のような、今ではもう作れない贅沢な建物や、京浜東北線「蕨」駅付近から見える巨大屏風のような「川口芝園団地」など、特徴ある団地が取り上げられるようになった。
また、同じ形の建物がならぶ団地内のアクセントとしての「スターハウス」も注目されてきた。
レベル3 都市計画
庭のない住宅がびっしりと立て並ぶような地域でも、古い団地の敷地に入ると、ゆったりとした空間にホッとすることがある。居住空間は古びていても、冬至でも、1階でも、日照が確保できるように、ただそれだけのための芝生がある。
一方で、建物の形はどこでも同じだし、向きも効率を考えて真南に向けて配置している、という印象だった。
しかしこの本を読んで、70年代まで「建物」に関して規格がカッチリと決まっていた分、それぞれの団地で「配置」について様々な工夫がこらされてきたことがわかった。
本書には、UR都市機構で都市デザインチームのリーダーを務めた建築家である木下庸子さんが選んだ名団地55が紹介されている。出版社のページで見ていただきたいのだが、おもしろい選定だ。ご存じ団地界のキング高島平団地から、先日建て替えのために更地になった阿佐ヶ谷住宅は順当だ。大阪の住吉団地が取り上げられてるのはうれしい。だがなぜかぼくの実家そばの市川中山団地が登場しててびっくりした。いやぼくあの団地好きだけどふつう団地選ぶときにランクインしないよあれ。
このラインナップの不思議さこそがこの本の内容そのものなのだ。じつはこの本、団地のレイアウトを論じたものなのだ。これはすごい。これを読むと、団地とは棟ではなく、並び方なんだな!ということがよく分かる。そして実際に訪れてみたくなる。こんな本はいままでなかった。
個人的に団地内の学校に通ったり団地を通って通勤したり団地に住んだりしていたので、もしかして自分が知っている団地が出てくるかも?と期待して出版社のページに行ってみたが、有名な団地が並んでいるだけで、少しがっかりした。
ラトルズネット / いえ 団地 まち——公団住宅 設計計画史(住まい学大系103)
それでも読んでみることにした。
実際に本書を手に取ってみて嬉しかったのは、自分のなじみのある団地が出てきていたことだった。
もっとも、実は前述の出版社のページに出ていたのだが、「目次」はクリックしないと開かなかったので、して開くタイプなので、気づかなかっただけだった。おっちょこちょいな私。
まぁせっかくなので、目次をもう少し親切にして、掲載順、五十音順、地域順、年代順に並べてみる。「奈良北団地」といっても横浜市だったりするので。
掲載順
戸数の多い順から少ない順に並んでいる。
「団地といっても小さな町に匹敵するほどのスケールから住宅地の一画に近い規模までを実感してもらう順序」(48ページ)
とのこと。
掲載順 | 団地名 | 管理開始 | 所在地 | 戸数 | 住宅区分 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 高島平団地 | 1972 | 東京都板橋区 | 10170 | 賃貸・分譲 |
2 | 花見川団地 | 1968 | 千葉県千葉市 | 7291 | 賃貸・分譲 |
3 | 西上尾第一団地 | 1968 | 埼玉県上尾市 | 3202 | 賃貸 |
3 | 西上尾第二団地 | 1970 | 埼玉県上尾市 | 2993 | 賃貸 |
4 | 武里団地 | 1966 | 埼玉県春日部市 | 6119 | 賃貸・分譲 |
5 | 草加松原団地 | 1962 | 埼玉県草加市 | 5926 | 賃貸 |
6 | 豊島五丁目団地 | 1972 | 東京都北区 | 4959 | 賃貸 |
7 | 常盤平団地 | 1960 | 千葉県松戸市 | 4839 | 賃貸 |
8 | 高根台団地 | 1961 | 千葉県船橋市 | 4828 | 賃貸・分譲 |
9 | 金沢シーサイドタウン並木一丁目第一・第二団地 | 1978 | 神奈川県横浜市 | 2438 | 賃貸・分譲 |
9 | 金沢シーサイドタウン並木二丁目団地 | 1981 | 神奈川県横浜市 | 2315 | 賃貸・分譲 |
10 | 豊四季台団地 | 1964 | 千葉県柏市 | 4666 | 賃貸 |
11 | 芦屋浜高層住宅 | 1979 | 兵庫県芦屋市 | 3381 | 賃貸 |
12 | 赤羽台団地 | 1962 | 東京都北区 | 3373 | 賃貸 |
13 | 米本団地 | 1970 | 千葉県八千代市 | 3020 | 賃貸 |
14 | 北砂五丁目団地 | 1977 | 東京都江東区 | 2809 | 賃貸 |
15 | 多摩平団地 | 1958 | 東京都日野市 | 2792 | 賃貸 |
16 | ひばりが丘団地 | 1959 | 東京都東久留米市 | 2714 | 賃貸 |
17 | 大島四丁目団地 | 1969 | 東京都江東区 | 2514 | 賃貸 |
18 | 川口芝園団地 | 1978 | 埼玉県川口市 | 2454 | 賃貸 |
19 | 泉北竹城台一丁目団地 | 1971 | 大阪府堺市 | 1502 | 賃貸 |
19 | 泉北竹城台二丁目団地 | 1972 | 大阪府堺市 | 915 | 賃貸 |
20 | 百草団地 | 1970 | 東京都日野市 | 2364 | 賃貸・分譲 |
21 | 上野台団地 | 1960 | 埼玉県ふじみ野市 | 2080 | 賃貸 |
22 | 高森台団地 | 1973 | 愛知県春日井市 | 1853 | 賃貸・分譲 |
23 | 日の里団地 | 1973 | 福岡県宗像市 | 1783 | 賃貸・分譲 |
24 | 東雲キャナルコートCODAN | 2003 | 東京都江東区 | 1712 | 賃貸 |
25 | 高幡台団地 | 1971 | 東京都日野市 | 1708 | 賃貸・分譲 |
26 | 奈良北団地 | 1971 | 神奈川県横浜市 | 1626 | 賃貸 |
27 | 金山団地 | 1968 | 福岡県福岡市 | 1572 | 賃貸・分譲 |
28 | 金杉台団地 | 1971 | 千葉県船橋市 | 1545 | 賃貸・分譲 |
29 | 岩成台団地 | 1971 | 愛知県春日井市 | 1301 | 賃貸 |
30 | 住吉団地 | 1968 | 大阪府大阪市 | 1204 | 賃貸 |
31 | 住道駅前住宅 | 1980 | 大阪府大東市 | 1046 | 分譲 |
32 | 江北六丁目団地 | 1971 | 東京都足立区 | 860 | 賃貸 |
33 | 武蔵野緑町パークタウン | 1996 | 東京都武蔵野市 | 855 | 賃貸 |
33 | 旧武蔵野緑町団地 | 1957 | 東京都武蔵野市 | - | - |
34 | 晴海団地 | 1957 | 東京都中央区 | 670 | 賃貸・分譲 |
35 | 花園団地 | 1979 | 京都府京都市 | 540 | 賃貸 |
36 | 石神井公園団地 | 1967 | 東京都練馬区 | 490 | 分譲 |
37 | 見明川団地 | 1977 | 千葉県浦安市 | 481 | 分譲 |
38 | 桜上水団地 | 1965 | 東京都世田谷区 | 404 | 分譲 |
39 | タウンハウス永山 | 1980 | 東京都多摩市 | 391 | 分譲 |
40 | 上高田四丁目団地 | 1971 | 東京都中野区 | 373 | 分譲 |
41 | エステート鶴牧四丁目・五丁目 | 1982 | 東京都多摩市 | 356 | 分譲 |
42 | 阿佐ヶ谷住宅 | 1958 | 東京都杉並区 | 350 | 分譲 |
43 | グリーンヒルズ御影 | 2002 | 兵庫県神戸市 | 299 | 賃貸 |
43 | 旧御影団地 | 1958 | 兵庫県神戸市 | - | - |
44 | 鈴が峰第二団地 | 1981 | 広島県広島市 | 294 | 分譲 |
45 | 市川中山団地 | 1967 | 千葉県市川市 | 280 | 分譲 |
46 | 入間東町団地 | 1979 | 埼玉県入間市 | 267 | 分譲 |
47 | 西長堀アパート | 1958 | 大阪府大阪市 | 263 | 賃貸 |
48 | 北青山三丁目市街地住宅 | 1963 | 東京都港区 | 251 | 賃貸 |
49 | 今川団地 | 1977 | 千葉県浦安市 | 230 | 分譲 |
50 | パークハイツ平尾山荘 | 1981 | 福岡県福岡市 | 225 | 分譲 |
51 | すすき野第三団地 | 1982 | 神奈川県横浜市 | 136 | 分譲 |
52 | 木場公園三好住宅 | 1982 | 東京都江東区 | 96 | 賃貸・分譲 |
53 | 烏山住宅 | 1958 | 東京都世田谷区 | 94 | 分譲 |
54 | タウンハウス諏訪 | 1979 | 東京都多摩市 | 58 | 分譲 |
55 | シティーコート山下公園 | 2004 | 神奈川県横浜市 | 40 | 賃貸 |
五十音順
順序は本書の目次に従った。
「タウンハウス永山」は「た」のところにあるが、「パークハイツ平尾山荘」は「ひ」のところにある。
団地名 | 掲載順 | 管理開始 | 所在地 | 戸数 | 住宅区分 |
---|---|---|---|---|---|
赤羽台団地 | 12 | 1962 | 東京都北区 | 3373 | 賃貸 |
阿佐ヶ谷住宅 | 42 | 1958 | 東京都杉並区 | 350 | 分譲 |
芦屋浜高層住宅 | 11 | 1979 | 兵庫県芦屋市 | 3381 | 賃貸 |
市川中山団地 | 45 | 1967 | 千葉県市川市 | 280 | 分譲 |
今川団地 | 49 | 1977 | 千葉県浦安市 | 230 | 分譲 |
入間東町団地 | 46 | 1979 | 埼玉県入間市 | 267 | 分譲 |
岩成台団地 | 29 | 1971 | 愛知県春日井市 | 1301 | 賃貸 |
上野台団地 | 21 | 1960 | 埼玉県ふじみ野市 | 2080 | 賃貸 |
エステート鶴牧四丁目・五丁目 | 41 | 1982 | 東京都多摩市 | 356 | 分譲 |
大島四丁目団地 | 17 | 1969 | 東京都江東区 | 2514 | 賃貸 |
金沢シーサイドタウン並木一丁目第一・第二団地 | 9 | 1978 | 神奈川県横浜市 | 2438 | 賃貸・分譲 |
金沢シーサイドタウン並木二丁目団地 | 9 | 1981 | 神奈川県横浜市 | 2315 | 賃貸・分譲 |
金杉台団地 | 28 | 1971 | 千葉県船橋市 | 1545 | 賃貸・分譲 |
金山団地 | 27 | 1968 | 福岡県福岡市 | 1572 | 賃貸・分譲 |
上高田四丁目団地 | 40 | 1971 | 東京都中野区 | 373 | 分譲 |
烏山住宅 | 53 | 1958 | 東京都世田谷区 | 94 | 分譲 |
川口芝園団地 | 18 | 1978 | 埼玉県川口市 | 2454 | 賃貸 |
北青山三丁目市街地住宅 | 48 | 1963 | 東京都港区 | 251 | 賃貸 |
北砂五丁目団地 | 14 | 1977 | 東京都江東区 | 2809 | 賃貸 |
木場公園三好住宅 | 52 | 1982 | 東京都江東区 | 96 | 賃貸・分譲 |
グリーンヒルズ御影 | 43 | 2002 | 兵庫県神戸市 | 299 | 賃貸 |
江北六丁目団地 | 32 | 1971 | 東京都足立区 | 860 | 賃貸 |
桜上水団地 | 38 | 1965 | 東京都世田谷区 | 404 | 分譲 |
シティーコート山下公園 | 55 | 2004 | 神奈川県横浜市 | 40 | 賃貸 |
東雲キャナルコートCODAN | 24 | 2003 | 東京都江東区 | 1712 | 賃貸 |
石神井公園団地 | 36 | 1967 | 東京都練馬区 | 490 | 分譲 |
鈴が峰第二団地 | 44 | 1981 | 広島県広島市 | 294 | 分譲 |
すすき野第三団地 | 51 | 1982 | 神奈川県横浜市 | 136 | 分譲 |
住道駅前住宅 | 31 | 1980 | 大阪府大東市 | 1046 | 分譲 |
住吉団地 | 30 | 1968 | 大阪府大阪市 | 1204 | 賃貸 |
泉北竹城台一丁目団地 | 19 | 1971 | 大阪府堺市 | 1502 | 賃貸 |
泉北竹城台二丁目団地 | 19 | 1972 | 大阪府堺市 | 915 | 賃貸 |
草加松原団地 | 5 | 1962 | 埼玉県草加市 | 5926 | 賃貸 |
タウンハウス諏訪 | 54 | 1979 | 東京都多摩市 | 58 | 分譲 |
タウンハウス永山 | 39 | 1980 | 東京都多摩市 | 391 | 分譲 |
高島平団地 | 1 | 1972 | 東京都板橋区 | 10170 | 賃貸・分譲 |
高根台団地 | 8 | 1961 | 千葉県船橋市 | 4828 | 賃貸・分譲 |
高幡台団地 | 25 | 1971 | 東京都日野市 | 1708 | 賃貸・分譲 |
高森台団地 | 22 | 1973 | 愛知県春日井市 | 1853 | 賃貸・分譲 |
武里団地 | 4 | 1966 | 埼玉県春日部市 | 6119 | 賃貸・分譲 |
多摩平団地 | 15 | 1958 | 東京都日野市 | 2792 | 賃貸 |
常盤平団地 | 7 | 1960 | 千葉県松戸市 | 4839 | 賃貸 |
豊島五丁目団地 | 6 | 1972 | 東京都北区 | 4959 | 賃貸 |
豊四季台団地 | 10 | 1964 | 千葉県柏市 | 4666 | 賃貸 |
奈良北団地 | 26 | 1971 | 神奈川県横浜市 | 1626 | 賃貸 |
西上尾第一団地 | 3 | 1968 | 埼玉県上尾市 | 3202 | 賃貸 |
西上尾第二団地 | 3 | 1970 | 埼玉県上尾市 | 2993 | 賃貸 |
西長堀アパート | 47 | 1958 | 大阪府大阪市 | 263 | 賃貸 |
パークハイツ平尾山荘 | 50 | 1981 | 福岡県福岡市 | 225 | 分譲 |
花園団地 | 35 | 1979 | 京都府京都市 | 540 | 賃貸 |
花見川団地 | 2 | 1968 | 千葉県千葉市 | 7291 | 賃貸・分譲 |
晴海団地 | 34 | 1957 | 東京都中央区 | 670 | 賃貸・分譲 |
日の里団地 | 23 | 1973 | 福岡県宗像市 | 1783 | 賃貸・分譲 |
ひばりが丘団地 | 16 | 1959 | 東京都東久留米市 | 2714 | 賃貸 |
見明川団地 | 37 | 1977 | 千葉県浦安市 | 481 | 分譲 |
旧御影団地 | 43 | 1958 | 兵庫県神戸市 | - | - |
武蔵野緑町パークタウン | 33 | 1996 | 東京都武蔵野市 | 855 | 賃貸 |
旧武蔵野緑町団地 | 33 | 1957 | 東京都武蔵野市 | - | - |
百草団地 | 20 | 1970 | 東京都日野市 | 2364 | 賃貸・分譲 |
米本団地 | 13 | 1970 | 千葉県八千代市 | 3020 | 賃貸 |
地域順
順序は都道府県コードによる。
都道府県内での順序は考慮していない。
所在地 | 掲載順 | 団地名 | 管理開始 | 戸数 | 住宅区分 |
---|---|---|---|---|---|
埼玉県上尾市 | 3 | 西上尾第一団地 | 1968 | 3202 | 賃貸 |
埼玉県上尾市 | 3 | 西上尾第二団地 | 1970 | 2993 | 賃貸 |
埼玉県春日部市 | 4 | 武里団地 | 1966 | 6119 | 賃貸・分譲 |
埼玉県草加市 | 5 | 草加松原団地 | 1962 | 5926 | 賃貸 |
埼玉県川口市 | 18 | 川口芝園団地 | 1978 | 2454 | 賃貸 |
埼玉県ふじみ野市 | 21 | 上野台団地 | 1960 | 2080 | 賃貸 |
埼玉県入間市 | 46 | 入間東町団地 | 1979 | 267 | 分譲 |
千葉県千葉市 | 2 | 花見川団地 | 1968 | 7291 | 賃貸・分譲 |
千葉県松戸市 | 7 | 常盤平団地 | 1960 | 4839 | 賃貸 |
千葉県船橋市 | 8 | 高根台団地 | 1961 | 4828 | 賃貸・分譲 |
千葉県柏市 | 10 | 豊四季台団地 | 1964 | 4666 | 賃貸 |
千葉県八千代市 | 13 | 米本団地 | 1970 | 3020 | 賃貸 |
千葉県船橋市 | 28 | 金杉台団地 | 1971 | 1545 | 賃貸・分譲 |
千葉県浦安市 | 37 | 見明川団地 | 1977 | 481 | 分譲 |
千葉県市川市 | 45 | 市川中山団地 | 1967 | 280 | 分譲 |
千葉県浦安市 | 49 | 今川団地 | 1977 | 230 | 分譲 |
東京都板橋区 | 1 | 高島平団地 | 1972 | 10170 | 賃貸・分譲 |
東京都北区 | 6 | 豊島五丁目団地 | 1972 | 4959 | 賃貸 |
東京都北区 | 12 | 赤羽台団地 | 1962 | 3373 | 賃貸 |
東京都江東区 | 14 | 北砂五丁目団地 | 1977 | 2809 | 賃貸 |
東京都日野市 | 15 | 多摩平団地 | 1958 | 2792 | 賃貸 |
東京都東久留米市 | 16 | ひばりが丘団地 | 1959 | 2714 | 賃貸 |
東京都江東区 | 17 | 大島四丁目団地 | 1969 | 2514 | 賃貸 |
東京都日野市 | 20 | 百草団地 | 1970 | 2364 | 賃貸・分譲 |
東京都江東区 | 24 | 東雲キャナルコートCODAN | 2003 | 1712 | 賃貸 |
東京都日野市 | 25 | 高幡台団地 | 1971 | 1708 | 賃貸・分譲 |
東京都足立区 | 32 | 江北六丁目団地 | 1971 | 860 | 賃貸 |
東京都武蔵野市 | 33 | 武蔵野緑町パークタウン | 1996 | 855 | 賃貸 |
東京都武蔵野市 | 33 | 旧武蔵野緑町団地 | 1957 | - | - |
東京都中央区 | 34 | 晴海団地 | 1957 | 670 | 賃貸・分譲 |
東京都練馬区 | 36 | 石神井公園団地 | 1967 | 490 | 分譲 |
東京都世田谷区 | 38 | 桜上水団地 | 1965 | 404 | 分譲 |
東京都多摩市 | 39 | タウンハウス永山 | 1980 | 391 | 分譲 |
東京都中野区 | 40 | 上高田四丁目団地 | 1971 | 373 | 分譲 |
東京都多摩市 | 41 | エステート鶴牧四丁目・五丁目 | 1982 | 356 | 分譲 |
東京都杉並区 | 42 | 阿佐ヶ谷住宅 | 1958 | 350 | 分譲 |
東京都港区 | 48 | 北青山三丁目市街地住宅 | 1963 | 251 | 賃貸 |
東京都江東区 | 52 | 木場公園三好住宅 | 1982 | 96 | 賃貸・分譲 |
東京都世田谷区 | 53 | 烏山住宅 | 1958 | 94 | 分譲 |
東京都多摩市 | 54 | タウンハウス諏訪 | 1979 | 58 | 分譲 |
神奈川県横浜市 | 9 | 金沢シーサイドタウン並木一丁目第一・第二団地 | 1978 | 2438 | 賃貸・分譲 |
神奈川県横浜市 | 9 | 金沢シーサイドタウン並木二丁目団地 | 1981 | 2315 | 賃貸・分譲 |
神奈川県横浜市 | 26 | 奈良北団地 | 1971 | 1626 | 賃貸 |
神奈川県横浜市 | 51 | すすき野第三団地 | 1982 | 136 | 分譲 |
神奈川県横浜市 | 55 | シティーコート山下公園 | 2004 | 40 | 賃貸 |
愛知県春日井市 | 22 | 高森台団地 | 1973 | 1853 | 賃貸・分譲 |
愛知県春日井市 | 29 | 岩成台団地 | 1971 | 1301 | 賃貸 |
京都府京都市 | 35 | 花園団地 | 1979 | 540 | 賃貸 |
大阪府堺市 | 19 | 泉北竹城台一丁目団地 | 1971 | 1502 | 賃貸 |
大阪府堺市 | 19 | 泉北竹城台二丁目団地 | 1972 | 915 | 賃貸 |
大阪府大阪市 | 30 | 住吉団地 | 1968 | 1204 | 賃貸 |
大阪府大東市 | 31 | 住道駅前住宅 | 1980 | 1046 | 分譲 |
大阪府大阪市 | 47 | 西長堀アパート | 1958 | 263 | 賃貸 |
兵庫県芦屋市 | 11 | 芦屋浜高層住宅 | 1979 | 3381 | 賃貸 |
兵庫県神戸市 | 43 | グリーンヒルズ御影 | 2002 | 299 | 賃貸 |
兵庫県神戸市 | 43 | 旧御影団地 | 1958 | - | - |
広島県広島市 | 44 | 鈴が峰第二団地 | 1981 | 294 | 分譲 |
福岡県宗像市 | 23 | 日の里団地 | 1973 | 1783 | 賃貸・分譲 |
福岡県福岡市 | 27 | 金山団地 | 1968 | 1572 | 賃貸・分譲 |
福岡県福岡市 | 50 | パークハイツ平尾山荘 | 1981 | 225 | 分譲 |
年代順
年表のうち、個人的に気になったところを追記した。
この本の55団地の選定は、年代ごとの網羅性を持ってはいない(それが悪い、という意味ではない)。
しかし、一組織が年間8万戸の住宅を供給していた時代(1971年)があったのには驚いた。現在の民間の分譲マンションの年間供給戸数と同じくらいではなかろうか。
管理開始 | 掲載順 | 団地名 | 所在地 | 戸数 | 住宅区分 |
---|---|---|---|---|---|
1955 | 設計方針:南面平行配置(冬至四時間日照)、標準設計、団地サイズ、「DK」 | ||||
1956 | ステンレス流し台量産化成功 | ||||
1957 | 33 | 旧武蔵野緑町団地 | 東京都武蔵野市 | - | - |
1957 | 34 | 晴海団地 | 東京都中央区 | 670 | 賃貸・分譲 |
1958 | 15 | 多摩平団地 | 東京都日野市 | 2792 | 賃貸 |
1958 | 42 | 阿佐ヶ谷住宅 | 東京都杉並区 | 350 | 分譲 |
1958 | 43 | 旧御影団地 | 兵庫県神戸市 | - | - |
1958 | 47 | 西長堀アパート | 大阪府大阪市 | 263 | 賃貸 |
1958 | 53 | 烏山住宅 | 東京都世田谷区 | 94 | 分譲 |
1959 | 16 | ひばりが丘団地 | 東京都東久留米市 | 2714 | 賃貸 |
1960 | 皇太子殿下、皇太子妃殿下、ひばりが丘団地と武蔵野緑町団地ご見学 | ||||
1960 | 7 | 常盤平団地 | 千葉県松戸市 | 4839 | 賃貸 |
1960 | 21 | 上野台団地 | 埼玉県ふじみ野市 | 2080 | 賃貸 |
1961 | 8 | 高根台団地 | 千葉県船橋市 | 4828 | 賃貸・分譲 |
1962 | 5 | 草加松原団地 | 埼玉県草加市 | 5926 | 賃貸 |
1962 | 12 | 赤羽台団地 | 東京都北区 | 3373 | 賃貸 |
1963 | 48 | 北青山三丁目市街地住宅 | 東京都港区 | 251 | 賃貸 |
1964 | 神奈川・千葉・埼玉で団地規制、団地サイズ規格化 | ||||
1964 | 10 | 豊四季台団地 | 千葉県柏市 | 4666 | 賃貸 |
1965 | 38 | 桜上水団地 | 東京都世田谷区 | 404 | 分譲 |
1966 | 4 | 武里団地 | 埼玉県春日部市 | 6119 | 賃貸・分譲 |
1967 | 36 | 石神井公園団地 | 東京都練馬区 | 490 | 分譲 |
1967 | 45 | 市川中山団地 | 千葉県市川市 | 280 | 分譲 |
1968 | 2 | 花見川団地 | 千葉県千葉市 | 7291 | 賃貸・分譲 |
1968 | 3 | 西上尾第一団地 | 埼玉県上尾市 | 3202 | 賃貸 |
1968 | 27 | 金山団地 | 福岡県福岡市 | 1572 | 賃貸・分譲 |
1968 | 30 | 住吉団地 | 大阪府大阪市 | 1204 | 賃貸 |
1969 | 17 | 大島四丁目団地 | 東京都江東区 | 2514 | 賃貸 |
1970 | 3 | 西上尾第二団地 | 埼玉県上尾市 | 2993 | 賃貸 |
1970 | 13 | 米本団地 | 千葉県八千代市 | 3020 | 賃貸 |
1970 | 20 | 百草団地 | 東京都日野市 | 2364 | 賃貸・分譲 |
1971 | 年間の建設戸数ピーク「恐怖の八万戸」 | ||||
1971 | 19 | 泉北竹城台一丁目団地 | 大阪府堺市 | 1502 | 賃貸 |
1971 | 25 | 高幡台団地 | 東京都日野市 | 1708 | 賃貸・分譲 |
1971 | 26 | 奈良北団地 | 神奈川県横浜市 | 1626 | 賃貸 |
1971 | 28 | 金杉台団地 | 千葉県船橋市 | 1545 | 賃貸・分譲 |
1971 | 29 | 岩成台団地 | 愛知県春日井市 | 1301 | 賃貸 |
1971 | 32 | 江北六丁目団地 | 東京都足立区 | 860 | 賃貸 |
1971 | 40 | 上高田四丁目団地 | 東京都中野区 | 373 | 分譲 |
1972 | 1 | 高島平団地 | 東京都板橋区 | 10170 | 賃貸・分譲 |
1972 | 6 | 豊島五丁目団地 | 東京都北区 | 4959 | 賃貸 |
1972 | 19 | 泉北竹城台二丁目団地 | 大阪府堺市 | 915 | 賃貸 |
1973 | 22 | 高森台団地 | 愛知県春日井市 | 1853 | 賃貸・分譲 |
1973 | 23 | 日の里団地 | 福岡県宗像市 | 1783 | 賃貸・分譲 |
1977 | 「高・遠・狭」新設団地で空き家続出、標準設計の廃止 | ||||
1977 | 14 | 北砂五丁目団地 | 東京都江東区 | 2809 | 賃貸 |
1977 | 37 | 見明川団地 | 千葉県浦安市 | 481 | 分譲 |
1977 | 49 | 今川団地 | 千葉県浦安市 | 230 | 分譲 |
1978 | 9 | 金沢シーサイドタウン並木一丁目第一・第二団地 | 神奈川県横浜市 | 2438 | 賃貸・分譲 |
1978 | 18 | 川口芝園団地 | 埼玉県川口市 | 2454 | 賃貸 |
1979 | 11 | 芦屋浜高層住宅 | 兵庫県芦屋市 | 3381 | 賃貸 |
1979 | 35 | 花園団地 | 京都府京都市 | 540 | 賃貸 |
1979 | 46 | 入間東町団地 | 埼玉県入間市 | 267 | 分譲 |
1979 | 54 | タウンハウス諏訪 | 東京都多摩市 | 58 | 分譲 |
1980 | 31 | 住道駅前住宅 | 大阪府大東市 | 1046 | 分譲 |
1980 | 39 | タウンハウス永山 | 東京都多摩市 | 391 | 分譲 |
1981 | 住宅・都市整備公団へ改組 | ||||
1981 | 9 | 金沢シーサイドタウン並木二丁目団地 | 神奈川県横浜市 | 2315 | 賃貸・分譲 |
1981 | 44 | 鈴が峰第二団地 | 広島県広島市 | 294 | 分譲 |
1981 | 50 | パークハイツ平尾山荘 | 福岡県福岡市 | 225 | 分譲 |
1982 | 41 | エステート鶴牧四丁目・五丁目 | 東京都多摩市 | 356 | 分譲 |
1982 | 51 | すすき野第三団地 | 神奈川県横浜市 | 136 | 分譲 |
1982 | 52 | 木場公園三好住宅 | 東京都江東区 | 96 | 賃貸・分譲 |
1996 | 33 | 武蔵野緑町パークタウン | 東京都武蔵野市 | 855 | 賃貸 |
1999 | 都市基盤整備公団へ改組、分譲事業撤退 | ||||
2002 | 43 | グリーンヒルズ御影 | 兵庫県神戸市 | 299 | 賃貸 |
2003 | 24 | 東雲キャナルコートCODAN | 東京都江東区 | 1712 | 賃貸 |
2004 | 都市再生機構(UR)へ改組 | ||||
2004 | 55 | シティーコート山下公園 | 神奈川県横浜市 | 40 | 賃貸 |
レベル4 住居・設備
ここまで来たら「51C白書 私の建築計画学戦後史」も読んでみよう。
唐突だが、私は鉄道ファンでもある。
なぜ鉄道ファンが団地ファンになりつつあるのか。うまく説明できないが、共通設計思想と細かい差異を愛でるあたりが、国鉄車両ファンにつながる部分があると思う。
(木下庸子氏)ただ、公団はそうやって(引用者注:キッチン、風呂、トイレなどの部品の)開発においてもリードしてきたわけですけれども、やがて他の民間企業が追いついて、さらに開発が進んでしまった。昔の人がすごく苦労して築きあげてきたものが、ある段階以降、完成形となってしまったのかな、と。(Appendix 07)
国鉄の車両も、50年代から60年代にかけて時代の先端を行く設計をしながら、70年代には過度の標準化と硬直化で苦しみ、JR化前後に多様化の道を歩むも、00年代には再評価された、みたいな。ちょっと無理がある?